味噌・醤油醸造業の創設(草創期)
製麹室の2階講堂

 元禄八年。五代将軍徳川綱吉の頃 当時の名僧鉄牛禅師の努力で椿の湖が干拓され、 干潟八万石が形成されつつあった時、 近隣よりその一角に入植、農業を営む者が次第に多くなっていった。 現在のタイヘイ株式会社本社の所在地、 千葉県八日市場市の前身であるここ福岡村は、干潟八万石の西端に位置し、 当社の始祖初代平左衛門が、当時、新田として開墾されたばかりの当地に入植、 農業を営み始めた時にタイヘイの歴史が始まる。

 勤険力行の人であった初代平左衛門が、次第に財をなし、近隣を束ね、地主としての地位が確立する に及んで、穀物貯蔵の手段としての酒造業を営み始め、次第に酒造業を本業にする様になってから代を 累ねる事十代、二百余年の長い年月を経て、ここに第十一代当主平左衛門の時代を迎える。  第十代の逝去のあとを受け、第十一代当主、平左衛門を襲名する。  時に明治十一年、維新の偉業もまだ緒についたばかりの頃であり、かの西南の役より数えて二年後に あたる。

製麹室

 元来、ここ下総の地は酒造業に限らず、味噌、醤油など醸造業の発達していた土地柄であり、特に醤油の 醸造では江戸時代から全国一の生産地であったと云われている。  ちなみに、現在でも下総国は野田市、銚子市を中心に醤油醸造メーカーが集中して居り、その生産高 も全国の五〇パーセント以上に達している。(昭和五十五年二月当時)  この様な土壌、環境の中で十代に及んだ家業の酒造業を継承した第十一代当主は、家業の一層の発展 を心に期し、酒造りへの道を歩み始めた。  然しながら、当時酒造業者にとって最も警戒すべき暖冬異変が続き、その為に、寒仕込みの諸味の 腐敗現象が頻発、産を失う同業者が近隣に続出した。  この現象に、塩蔵の伴わない醸造業である酒造りには、不安定な要素が残る、と云う事を肌で感じとった 第十一代当主は遂に意を決し、企業的にも安定度が高く、しかも酒造設備をそのまま活かせる醸造業である 味噌・醤油の醸造に転換した。  時に明治十三年二月三日。

本社全景

 ここにタイヘイ株式会社を今日あらしめた原点をなす、千葉県海上郡福岡町の味噌・醤油醸造業平野屋本店 の創業が始まる。  この間、年々生産高も順調に伸び、創業の年より二十一年を経過した明治三十四年の時点では、当時主力製品 であった味噌に対し、僅か一割のウエイトしか占めない副業的存在の醤油部門の生産量だけでも、 二百石余りに達し、業界でも注目され始めるようになった。


『社史 タイヘイ100年の歩み』(昭和五十五年二月三日発行)より抜粋